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Ak Yum

Constructed : Unknown, thought to be late 7th or early 8th century
Style : Bayon
King : Jayavarman I (unconfirmed)
Dedicated To:Gambhiresvara
Style:Temple Mountain

 
 
 
 内戦の頃に破壊されたでしょうか。
 
Prise de vue : Décembre, 1953
Photographe inconnu
 
中央祠堂 部分 手前が 北(バライ側)

 
 一番上はリンガ、ヨニの台座だけ残っている。右が北
 
 
 
西バライ

西バライの建設(11世紀頃)の際、バライの南の堤防と重なった部分が(北側)が堤防の下に埋まった。

memo :

 アンコール時代の碑文に アニンディタプラ と言う 王国がアンコール地方にあったことを示唆している。
ジャヤヴァルマン1世は七世紀後半に支配地を広げたが、その中心がどこなのかはっきりしていない。
そのアラダラプラ都城はアンコール地方にあったと言うするならば、現在の西バライの堤防で発見された アク・ユム遺跡を含む地域かもしれない。
それらがやがて九世紀初頭の ハリハラーラヤ都城に、そして九世紀末のヤショダラプラ都城に発展していった。
;アンコール 王の物語 石澤 p41

ndravarman I's wife, Indradevi, was a descendant of the royal families of Sambhupura, Vyadhapura, and Aninditapura
;Wikipedia


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